プロの写真家としてデビュー後、新人賞を受賞し、広告や雑誌の仕事をするようになりました。「写真が好き!」という気持ちは誰にも負けないつもりですが、そんな僕もハタチの頃までは「写真なんてクソつまんねー」と考えていました。
今回は、まだまだ自分探しをしていたあの頃を振り返り、当時の気持ちをたどってみます。
初めて一眼レフでちゃんと写真を撮ったとき
タイトルの通り、ハタチぐらいまでは写真という表現を「クソつまんねー」と思っていました。
20歳になったばかりの頃、僕はワーキングホリデーのビザを取得し、オーストラリアを旅していました。
最初の4カ月半はシドニーのボンダイビーチ近くに住んでいました。シドニー生活を終え、メルボルンに引っ越すことを決めたとき、同郷・熊本出身のルームメイト、ひでさんが僕に一眼レフカメラを貸してくれました。
「あっちゃん、これで写真撮ってみったい。絶対面白いけん」
(海外にいてもお互い熊本弁)
ありがたくカメラを借りて、丸1日、シドニーのいろんな場所を巡って写真を撮りました。
このときが実質、写真家としてのスタートラインだったんだなといま振り返れば思います。
ただ、ものすごく残念なことに、1日の短いフォトジャーニーを終えてたどりついたのは「写真とか、クソつまらん」という結論でした。
「こんなの自己満足なやつがやることだろ」
「機材とかプリントとか、お金かかるし。時間も金もムダ」
「自分には向いてない」
って感想を抱きました。
とはいえ、ものすごく矛盾するのですが、
その1日の体験を通し、なにか心に刺さるものがあったんですね。
その後にカメラ屋でコンパクトカメラや使い捨てカメラ「写ルンです」を購入し、素人ながら写真を撮るようになりました。
「せっかくのワーホリ生活。自分が歩んだ証みたいなのを、記録しておきたい」
そんな気持ちだったと思います。
2回目の「写真ってクソつまんねー」
帰国後、地元・熊本の出版社で仕事を始めた頃、代表だった写真家の稲原豊命さんに連れられ、市民会館前の伝統芸イベントの撮影アシスタントをしました。
まだまだフィルムカメラ全盛期で一眼レフの触り方などまったくわからなかったド素人だったのですが、いきなりカメラを貸してもらい、「撮ってみなよ!」と背中を押してもらいます。
このときも、旅していたときに忘れていた「心に刺さった何か」がうずき、当時の感覚がフラッシュバックしました。
ただ、仕上がった写真は使えるものが1枚もなく、へたくそすぎたため、正直なところ「やっぱりつまんねー」と感じました。
稲原さんはまた、僕が付き合っていた当時の彼女と僕のふたりをモデルにして、橋の上でハグしてる風のショットを撮影してくれました。
シルエット&人物をピンボケにした構図で顔ははっきりと写っていなかったのですが、撮影時はどのように振舞っていいかわからず、ものすごく恥ずかしかったのを覚えています…。
また、僕が事務所にいたとき、何気なく撮ってくれた写真を暗室でプリントし、後日プレゼントしてくれました。
このときもまた、何か胸に刺さっていたものがチクッとしました。
こうしたいくつかのことがきっかけになり、周囲の人たちの熱量に飲まれ、
少しずつ僕は「写真という表現の楽しさ」にのめり込んでいくことになります。
人生を変える経験って?
あれだけ「つまんねー」「興味ないな」「どこが面白いんだろう」って考えていた写真という表現にこだわり、写真家として生きていく決意をしたきっかけはなんだったんだろう?と振り返ってみみました。
僕はどちらかといえば保守的な方なので、新しいことを始めるのは億劫で、すぐに飛びつくタイプではありません。
ただ、「人生を変える経験」は、必ずしも1回だけとは限りません。
周囲の人たちに背中を押してもらい、多くのことを吸収できたからこそ、ずっと続けられるものに巡り会えたんだろうなと思います。
まだ「やりたいことがない」「情熱が湧かない」という人に、少しでも刺さればうれしいです。